2010.02.04 木.
pm 13:58
栗岩稔のこと

【恐縮ですが、栗岩稔のこと】

1968年10月 長野県上田市生まれ 血液型 A型
幼少の頃から信州の大自然の中で野球少年として育ち甲子園球児を目指すも、
医師の判断により甲子園の道はおろか野球そのものに対して挫折を経験。
在学中に読みふけった文学の影響で自我に目覚め、高校生ながらにして一般社会に飛び出す。
そこで、大人の振る舞いモラルなど自己の甘さを痛感。
卒業後は目指すもののない大学生活への疑問を感じ親元を離れアルバイトをしながら単身生活。
そのなかで働くことの意義、労働により得られる対価の価値を痛感し、
接客業をはじめとする「人対人の商い」の重要性を実体験として体感。
二十歳を迎える頃、地元初上陸となる百貨店内ナショナルブランドショップ展開のための
販売契約社員として、正式に一般社会への仲間入りを果たす。
ブランドそのものの紹介はもとより人対人の信頼関係に成り立つ服飾販売を試行錯誤の毎日。
しかし、着実に実績を確保し続けた実績評価と都心百貨店担当人員強化という時期にあたり、
地方から都心への人事異動という異例の機会で単身上京する。
二十代前半のバブル経済を痛感した都心でのナショナルブランド勤務を経て、
現在では多くの人に支持されるビジネスバッグの日本導入時の責任者として参画。
企画開発から顧客担当までこなし、日本全国はおろか世界各国を駆け巡る。
三十歳を目前に「大きな看板」を背負った栗岩稔の人生に惑い、十年後の栗岩稔を
体現するため一念発起して銀座でバーテンダー修行を開始する。
運よく日中の勤務先であった神奈川県鎌倉市内の老舗コーヒー店にて紹介された渡邊かをる氏が
プロデュースするバーの開店を機に店長、酒番として店を任される。
鎌倉市内はもとより関東各地から老若男女が、夜毎集う紳士淑女のバーとして存在を示す。
ある日、偶然というよりも必然と出会ったモデリスト滝沢滋氏とともに、夜毎男女が集い、
己を磨きあげるウツワの構想を共有し練り上げていく。
ついに2004年11月銀座七丁目にてサローネオンダータを立ち上げる。
その隠れ家的なサロン、カスタマイズクロージングの時流の先端を担っていたこともあり、
開店から三年後には顧客数300名を越えるサロンとして確固たる存在へと高める。
2008年秋、次世代にその任務を譲り、栗岩稔として四十歳を迎えたとともに新たな道へと独立。
心から湧き上がる言葉によって人を集め、同店バーサロンの二十四節気に基づいた営業、
会員制サロンNUITの番頭を歴任する。
そして現在、
人と人のつながりを大切にしながら次の十年後の姿を模索しながら生き様を表現する日々。
2009年冬、栗岩稔オフィシャルWEBサイト「THE CLUB」を開設
2010年春、オフィス栗岩稔株式会社の設立準備

この二十年余りの社会経験によって培った人に対するということを様々な観点から語り、
働くことや礼儀や節度など、生きていく上で必要なことを伝え、人間力の向上と
戦い続ける人々へ心の底から湧き出る言葉を綴り続け、
次世代の人々のためにモノを介さない新たなカタチの創造に向かう日々。
人対人のつながりをもとに構築する「人の輪」
目の前に人がいないヴァーチャルかつ人との関係作りが薄れてしまったこの時代だからこそ、
本来あるべき人とのつながりやその関係の上に成立する「人の輪」
古の時代からあったはずの「人の輪」の構築へとつなげる。
言葉を伝えることを忘れてしまったこの時代に、今改めて面と向かって人に伝えます。
それが、栗岩稔の使命です。

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